深田 上 免田 岡原 須恵

ヨケマン談義11.昔懐かしふるさとの味

11-24.柿(かき)

 青木光一さんの昭和32年のヒット曲、「柿の木坂の家」の歌詞の一番に柿の実がでてくる。

♪ 春にはの花が咲き 秋にはの実が熟れる・・ ♪

である。この懐メロを聞くと、柿の木があった故郷を思い出す、という便りを岐阜県在住の匿名希望の方からいただいた。また、佐賀出身の方は、柿のシモゴネについて、「・・我が家の庭にも甘柿、渋柿いろいろ植えてあった。盆柿は小さい柿で、盆にはもうゴマが入っていて食べられた。とんがった「霜捏ね(シモゴネ)」という柿は一番おいしかった。弟もこれが大好きで、二人でムシャムシャ喰った。これは霜が降る頃までたべることができ、そのころは四角く平べったい富有柿のような甘柿はあまりなかった・・」

 人吉球磨地方のオヤツを紹介してきたが、子供のオヤツといえば、なんと言っても柿である。「フユガキ」、「シモゴネ」、「伽羅(キャラ)」、「盆柿」、熟した渋柿もあった。フユガキは平らな形をして、今でこそ人気の柿であるが、素朴で、柿らしかったのは、佐賀の方も語られているようにシモゴネである。シモゴネは細長く、黒いゴマが入っていた。キャラはふっくらと丸い形をしていて、一番おいしかった柿である。盆柿は、親指ほどの小さな柿で、柿の原種に近く、一番早く食べることができ、名の通りお盆の頃にはかじることができた。

太秋柿 柿の収穫 豊作
図1.太秋柿の条紋 図2.柿の収穫(相良) 図3.今年は豊作(岡原)

 筆者の家にも何本かの柿の木があり、実がなる頃には瓦屋根まで垂れ下がっていた。高い木に登れないと屋根に上がって柿をもぎ食べていた。近年は柿の種類も多く、主な甘柿は18種、渋柿も20数種がある。先ほどあげた「シモゴネ」、とか「伽羅(キャラ)」などの名は方言らしく、今の甘柿の品種名にはない。

   図1に示す「太秋柿(たいしゅうがき)(写真:日本ロイヤルガストロ倶楽部は、筆者が子供のころはなかったが、大きさはソフトボール位で、この頃は球磨郡でも栽培され、贈答品として売られている。この太秋柿は、「富有柿」をベースに「次郎柿」と「興津15号柿」を掛け合わせて出来た品種らしく、昭和19年(1944年)には品種登録されており、古い歴史をもつ柿である。この柿の栽培面積は、全国の45%が熊本県であり、太秋柿はまさに熊本の柿といえる。
太秋柿は熟していくと、図1に示すように、『条紋』と呼ばれる筋線が入ってくる。見た目により傷のように見えるが、甘さとシャッキとした食感の『印』だそうである。
このような、おいしく種もなく食べやすい柿でも、近年、子供たちが道端の柿をちぎって、かじっている風景は一度も見たことがない。柿などより手軽なオヤツが溢れているせいなのだろう。最近は、柿に限らず子供たちが、自然の果物をそのまま食べることがないような気がするのは筆者だけだろうか。

  筆者も、太秋柿の幼木を多良木で購入して植えている。「桃栗3年柿8年」だから90歳までには収穫できるかも知れないからである。友人が嬉しいことを言ってくれた。「接ぎ木だからあと5年くらいでなるよ!」 ・ ・5年経った今年、実をつけたが大きくならず落ちてしまった。




今年の柿は豊作ですと、相良の方(図2)と岡原の方(図3)から写真を頂きました。

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